【更新停止】読書会は、参加するより主催するのが楽しいですよ

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【ノート】齋藤孝『読書力』についてのまとめ

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▼こんにちは。先日(3/30)齋藤孝さんの『読書力』(岩波新書)に関する4回に及んだ読書会を終了させることができました。ご参加くださったみなさまには、改めて御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。このエントリーでは、完読したことを受けての「まとめ」として、私見を述べておきたいと思います。

▼齋藤さんは本著において、読書を通じて得られる効用を3種に大別して指摘されています。すなわち、

1)自分をつくり、

2)自分を鍛え、

3)自分を広げる、

の3種です。その詳述はできませんが、ここでは私なりに読書を通じて達成しうることをいくつかあげていきたいと考えております。

 

 

読書のうちに自分を発見する

読書とは、単に知識を習得するためになされるものではありません(もちろん、知識の習得を否定しようしているのではありません)。本を読んでいると「ああ、私が考えていたこと、言いたかったことは、こういうことだったんだ!」と、思える瞬間が訪れることがしばしばあります。

実は「自分の考え」や「気持ち」というものは、あらかじめよくわかっているものではありません。むしろ、そうした「考え」や「気持ち」に先立った言葉と出会うことによって明確になってきます。

例えば、誰かを好きになる。反対に憎く思う。こうした気持ち・感情も、「あなたが好きだ」「あいつが憎い」と、言葉として言い、考えることによって明確になるのではないでしょうか。

そのように、自分の考えがまとまることに先立って、ある書物のうちに「言葉」を見出す。そのことであたかも自分の考えがそこに書かれているかのような体験が起きるのだと思うのです。

アウトプットを通じて自分を整え、自分を鍛える

「読む」の次には、「話し」「書く」という側面について考えます。ここでもキーとなるものは「言葉」です。読書を通じて得た内容、知識や、まとまったりした考えを、誰かに話し伝える。あるいは誰かに向けて書く。これらのことには、想像している以上にエネルギーが使われています。

まず、伝わるためには自分の考えが、あるいは自分の考えとして、まとまり、整理されていなければなりません。

とは言うものの、実のところは、自分の考えとしてまとめる「ために」、話し、書くという側面があることを強調しておきたいと思います。そうした作業を通じて、自分の考えや「言葉」が鍛えられていくのだと思います。「言葉」との出会いは、読書を通じて鍛えられ、その営みは、自分を鍛えてくれます。

他者と出会い、他者とつながる

「読書は1人でする孤独な作業」と思われるでしょうが、それは物事の半分を見ているのだと申し上げたいと思います。私が読書会を主催しているからということをおいても、実際問題として、読書は「他者」への架橋となるものです。

ここでの他者とは、第一義的には著者を指します。本を通じて、その向こう側に著者とその思想と人生とを見出すことが、読書の醍醐味でしょう。

そうした著者=他者との出会いは、自分の周りの他者との出会い、もう少し言えば「出会い直し」をもたらします。

ここで言うところの「他者」とは、人間だけではありません。自分以外の「世界」全てを指すと考えていいと思います。見る風景が変わるように、世界との関係性が刷新される。そうした可能性の端緒となりうるのが、読書という営みなのです。

つまり・・・。

読書とは、自分と他者とを発見し、世界とつながるレッスンである。

 

▼今回は、生硬な文となってしまいましたが、大幅な手直しはせずに、そのままでの公開とさせていただきました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。