オンライン読書会・読書の宴

2018年10月に開設した、自宅から参加できるオンライン読書会「読書の宴」の公式ブログです。メニューの「はじめに」からお読みください。

【ノート】わたしが読書会開設に込めたもの~『読書と社会科学』を参考に~

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▼おはようございます。このエントリーでは、私がこの読書会で何を目指し、何をしたいのかについて、改めて書かせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

開設の経緯

▼オンライン読書会「読書の宴」は、昨年(2018年)10月20日に第1回目を開催いたしました。準備や周知などを考えると、だいたい10月の初旬にはその構想を確定させていたのだと思います。

▼実のところ、通話・チャットツールの「Skype」を使ったり、Twitterをチャットに見立てて「読書会」と称した集まりを試みたことはありました。少なくとも5年前くらいには最初の試みを行っていたはずです。しかし、それらはいずれも短期間のうちに終息してしまっていました。

▼読書会は楽しい、だからやってみたいというのは、数年来の希望でありました。実際に、顔を合わせた読書会に参加していた時期もありました。私がオンラインでの実施を志向したことに関しては後述しますが、根底には読書会は楽しいものである、だから参加したい、やってみたいのだという気持ちは恒常的にあったわけです。

▼直近では、2018年の夏に「断念」したSkypeを利用した読書会もありました。それは主として、体調不良が原因で続けられなくなったものです。

▼その夏以降10月までの間に、既に思い出せなくなっていますが、のこのこバーというオンラインでの精神疾患の当事者が利用するコミュニティに参加していました。この「のこのこバー」との出会いは、間違いなく私の「転機」となりました。

▼そのオンライン・コミュニティに参加して直観したのは、「この中に読書会を希望する人がいる」「ここを使えば、読書会が開ける」ということでした。果たして、その直観はあたっていたわけです。 

なぜ「オンライン」なのか?

▼のこのこバーに辿り着く以前にも、私はオンラインでの読書会を志向していたのですが、それには理由があります。つまり、私は双極性障害という精神疾患を罹患しているがために、定期的な外出には耐えられないということです。

▼また、オンラインで結べば、参加者を全国から募ることができるという目算もありました。

▼ですので、私が読書会を「主催」するのであれば、開催はオンライン一択ということになっていたわけです。

読書会は何を目指せるか~『読書と社会科学』を参考に~

▼こうして読書会を、ZoomとTwitterというツールを使って開催することにいたしました。幸いにも、10月下旬から今日に至るまで、22回を開催してくることができております(2019年4月10日現在)。そこで、今一度この「読書会」では何を目指しているか、何を目指し「得る」のかについて考えておきたいと思います。そこで参考となったのが、経済史家の内田義彦さんの晩年の著作『読書と社会科学』岩波新書)です。

 

読書と社会科学 (岩波新書)

読書と社会科学 (岩波新書)

 

 

▼精確に言おうとすると、読書会をするにあたって参考となるものを探しているうちにこの著作に出会ったのではなく、ここで書かれているような読書会を開いてみたいと思うようになったのだと考えています。

▼先に、読書会は「楽しい」と延べました。その「楽しい」ということの「内実」を深めることが大切であると、内田さんは述べています。それはおおよそ次のような記述として刻まれています。

楽しいとは、魂がその妨げを排除しながら伸び育っていくときの情念である(主旨)

▼読書そのものは「快楽」です。おもしろいし、楽しい。しかし、そうした「個別の」「原初的」「刹那的」な快楽であることを超えたところに、他者と協業し、分かち合う「楽しさ」もまた存在するのではないか。楽しさの、さらにその先の楽しさがあるのだとすれば、書物のその先に「人間」を見出し、出会うということ。その人々と触発しあいながら、共々に「伸び育っていく」、伸び育っていくことを「分かち合う」。そこまでを目指せるのだろうし、目指していいのだと私は考えます。

隠れた意図

▼もう1つ、この読書会で目指したいことがあります。それは私が精神疾患を病んでいることと関連があります。

▼私は2000年にうつ病との診断をされて以来、ほとんど本が読めなくなりました。20代の10年間は、ほぼ毎年50冊程度を読んでいたにも関わらずです。記録上では、2桁を読了できるようになったのは2013年からでした。幸いにして、私は好きだった読書を再開できるようになったのです。

▼私のように、以前は本を好きで読んでいたものの、病を得てできなくなってしまった人は相当するいるように思われます。僭越ながら、そうした方々にこそアプローチし、ご参加をいただきたいと思っています。

▼いまだその原因を特定こそできてはおりませんが、私が読書を再開できた経験を敷衍することができれば、読書できなくなったかつての読書好きの方々に資することができるのではないか。何らかの刺激になり得るのではないかと思うのです。

▼その道程は、決して平坦なものではないとは思いますが、伴走「しあいながら」前に進んでいければと考えております。

 

▼今回は以上とさせていただきます。今回書ききれなかったこと、このあとで思い起こしたことなどについては「ノート」として書き起こしたいきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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